〜アチキの旅行記〜
(2002年4月26日)
2001年秋 |
友人と「ヨーロッパを一ヶ月で一周しよう!」計画を立てる。 独断でバルセロナ行きも盛り込む。高校時代からガウディ先生の作品たちに遭いたかったからだ。友人はあんまり興味が無いようす。 出発の一ヶ月前に航空券を取り、その数日後にNYテロ事件が起きる。 最大の目的地、トルコが危なそうなので、泣く泣く全てキャンセルする。 |
2002年3月 |
突然べつの友人からスペイン行きをもちかけられる。 どうやら同行予定者が、「バルセロナは治安が悪い」という噂に恐れをなし、アチキが後釜に据えられた様子。 ちょっと資金面に不安があったものの、同行を即決。 |
2002年4月 |
バルセロナ&グラナダで話が進む。アチキはガウディ作品以外、興味がないので快諾。 数日後、グラナダは遠いので、イビサ島に変更の連絡が入る。これも興味がない(無かった!)ので快諾。 友人は”白い町並み”が目的だったようだが、さらに”地中海でバカンス”という目的が加わる。 |
4月23日(火)成田発 |
帰りは4月28日(日)18時30分バルセロナ発の予定。 |
4月24日(水)バルセロナ着 |
天気予報を見ながら検討した結果、土日を避けて、26日(金)をイビサに当てる事にする。 |
4月25日(木)イビサ前日 |
この日のバルセロナはすごく暑くて、海に入れそうな勢い。 水が冷たくても浜辺で肌を焼く事は出来るだろうということで、友人はカテドラル近くの服屋で水着を購入。アチキは海には入れないだろうと思いつつも、日本から持参してきていた。 17時頃、ランブラス通りの「日本語案内所(正しい名称不明)」に行き、飛行機の予約のことを相談すると、その場でイベリア航空にTELして予約してくれた。その際、VISAカードのNOと、パスポートNOを伝えただけでOKであった。 フライト代は往復で1人219.15ユーロ(レート118.088で\25,879)。プラス、予約してくれたおじさんに1人5ユーロの手数料を払う。 飛行機は行きが7時30分バルセロナ発、帰りが23時イビサ発のもの。 かなりたっぷり時間がある。 当日はパスポートコピーではなく、オリジナルでないといけない事を確認。通常は航空券をホテルに届けてくれるそうだが、明日の事で時間が無いので、予約内容が記載されたFAXをイベリア航空から送ってもらう。 明日の朝はとても早いので、ホテルに戻る前にパンと生ハムとチーズと水を朝食にすべく購入。 |
4月26日(金)イビサ当日 |
朝〜昼 |
計画としては、まずインフォメーションセンターに行き、カテドラルを見て、昼近くビーチに行き、夕方街をブラつき、夕飯を摂って21時すぎに空港へ向うというもの。 出発前に皆さんの旅行記が読めず、「カフェ・デル・マル」の夕日のことなど全く知らなかったので、街はイビサタウンだけに絞り、ゆったり過すことにする。 ビーチはイビサタウンに近く、比較的水もキレイらしいということで、タラマンカに決定。 5時に起きて6時にタクシーに乗り込む。 カウンターでは昨日貰った予約の紙を見せただけで、カードの提示もサインもなかった。やや不安になる。 空港の薬局で日焼け止めを購入しようとしたが、「日焼け止め」のスペイン語が分からず、勘で購入する。 7時15分から搭乗開始、7時35分バルセロナを発つ。 8時30分、イビサ着。 空港のインフォメーション・センターに寄り、ロッカーを聞くが無いと言われた。パスポート・オリジナルを1日持って歩かねばならぬ事にドキドキする。 お姉さんがバルセロナよりも英語慣れしている事にちょっと驚きつつも、イビサの地図だけ貰っておく。 空港のトイレで水着を着て、その上に服を着る。 バス停に行くとバスはもう出た後で、あと1時間しないとないようなので、タクシーでイビサのインフォメーション・センターに行く事にする。タクシー乗り場には何故か人がたかっていたが、すぐに乗れる。空港には金髪の白人が多く、東洋人は皆無。大半は英国などから「地中海で早めのバカンス」をしに来たかと思われる。 9時少し前にイビサタウンのインフォメーション・センターに着く。ここでバスの時刻表やらビーチの案内図やらイビサタウンの地図やらを貰う。 そのままカテドラルへ向う。市場などが開いていて、いい具合である。のんびりフラフラしている犬も多い。白い町並みを歩いただけで、地中海モードにはまっていく。 坂を登って城壁の中に入り、しばらくすすんで美術館(博物館?)や公衆トイレがある、砦のような、ちょっとした展望台になっているところを通りすぎる。 その前の公園のベンチにはなぜか人の彫刻が腰をおろしている。 さらに坂を登って行くと、左手にホテル(役所か?)のような小奇麗な建物があって、その奥の駐車場のようなところから海が見えたので、そちらに行ってみる。 そこから見る初めての地中海は最高にキレイだった。 逆光だったので目を細めて眺めたのだが、朝日を受けた水面はキラキラと輝いていて、波は驚くほど穏やかで、時々「チャポン、チャポン」という、波が打ち寄せる音が聞こえるだけ。 白波など全く無い海は、生まれて初めてだった。 緑色に輝くキレイな海も、生まれて初めてだ。 空には少し雲がかかっていたが、もうこれだけで感動である。 ちょうど塀に座れたので、そこに腰掛けて海を見ながら軽くヨーグルトなどを食べてみる。 かな〜りまったりしてきた。 そこでだいぶ過した後、もと来た道に戻る前に、狭いガードのようなところがあるのを発見し、そこをくぐってみることにする。 ちょっとした階段を上がると、野草が生い茂る崖のようなところへ出た。先程までは、おそらくカテドラルを目指しているであろう観光客がチラホラいたが、ここには誰もいない。 花が咲いていたので、ちょっと摘んで帽子にさしてみる。 この頃からだいぶ太陽が昇ってきたようで、かなり暑くなってきた。 右手上方にカテドラル、左手に海を眺めつつそのまま進み、今度はカテドラル後方に出る。 ここに岬のようなところがあって、そちらへ行ってみる。前方は海一面で、右手下方に少し街が見えている。いい眺めだ。 そのままカテドラルに登りたかったのだが、入り口がなく、結局カテドラルの下をグルーッと一周する。 結構な時間と体力の浪費であるが、時間はたっぷりあるのでそれほど焦らず。 この崖のようなところにはライトアップ用だろうか?照明器具が所々置いてあった。 昇った坂をほとんど降り、街中に再び出てきてしまい、ウロつく。 この一帯はアラブ系の人々が住んでいる地区のようだ。 修復していたり、引越ししている家を何件か見かける。 しばらくすると、前方より歩いてきた土地の人と思われるお兄さんと目が合い、「オラ!」と挨拶してくれたので、ここぞとばかりに駆け寄りカテドラルの入り口を聞く。 途中、後方を歩いていた友人が猫と戯れていたため見失ったが、その後、無事に合流し、カテドラルに着く事が出来た。 カテドラルは友人が見たがったのでついてきたのだが、バルセロナのカテドラル等とは全く違い、非常にシンプルであった。よくある教会の暗いイメージとは違い、壁などが白いためか、かなり明るい印象を受ける。 やはり地中海ならではなのだろうか。 カテドラルを出ると、前の展示館(?)で、小学生らしき大勢の子供たちに引率の先生が何やら説明していた。日本のミニ社会科見学のようで、ほほえましい。スペイン語が出来れば何気に盗み聞きできたのだが…残念。 11時ごろにはタラマンカに向っているか、着いているかの予定だったのだが、思わぬところで時間を割いてしまい、もうすでに昼過ぎになっていた。 |
昼〜夜 |
街へ降りる前に何件か土産物屋に入り、物色する。 今年は日本でも白いスカートが流行っているが、そんなようなスカートが土産物屋にもわんさか売られていた。 ただ、店(物?)によって大分値段が違うので要注意だ。 先程通った、彫刻が座っているベンチがある、小さな公園の向こうの土産物屋には、何故か入り口に、ご主人とゴルチエの2ショットの写真が飾ってあった。どーいった繋がりなのだろう??謎だ。 それから一気に坂を下って、バス停のある通りまで行く。 時刻表を見ても、いまいちどのバスに乗ればよいのか分からなかったが、持参したガイドブックにちょうどバスNOが乗っていたので、それを頼りにバス停を探す。 バス停を見つけ出し、時間を見るとあと10分でくるらしい。 時刻はすでに13時になっていた。 バスはほぼ定刻通りに来た。 運賃を聞き、0.9ユーロを払い、タラマンカに着いたら知らせてくれるように頼む。聞き取れないと悪いので、一番前の席に座る。 同乗者の大半は地元の人々のようで、カードにハンコを押してもらって乗っていた。回数券みたいなものなのだろうか? バスはやはり地元人の足らしく、細い路地をあっちに行ったりこっちに行ったり、停留所以外の場所で乗ったり降りたりしている。そうこうしているうちに睡魔に襲われる。 しばらくすると「タラマンカ!」と運転手のおじさんが叫んでくれた。 おまけにビーチの方角まで指で指し示してくれた。 やはり前の席で正解だった。 10分くらいでつくとガイドブックには載っていたが、結局30分かかった。 バス停に降りてすぐ、帰りのバスの時刻を確認しようと思ったが、そこのバス停には時刻表は貼っていなかった。おまけに逆行きのバス停が近くに見当たらない。 ちょっと帰りのことが心配になりつつも、ビーチを目指す。 おじさんに言われた方向に進むと、間もなくビーチがみえてきた。右手には大きなホテルがあり、海に面したオープンテラスでたくさんの人がくつろいでいた。 ビーチにはチラホラ人が見えるが、海に入っている人はいなかった。 白い浜辺、青い海、サイコーである。 やはり地中海には地中海カラーがあるんだなと、納得する。 早速荷物を置いて、下だけ水着になり、海に入ってみる。さすがに冷たく、膝までが限度である。とても泳げそうにない。 しかし、地中海のキレイな海に自分がいるというだけで満足なのであった。 水は日本の水道水か、ミネラル・ウォーターのように透き通っていて、水中の足の指や、底の砂粒までしっかり見える。こんなにキレイな海には日本ではお目にかかったことがないので、またまた感動する。 そうしてしばらく友人とはしゃいだあと、上も水着になって浜辺で昨日買った食糧を食べる事にした。が、あまりの暑さにチーズはヤバくなっているだろうということで断念。生ハムもどうかと思ったが、パンだけでは味気ないうえに、ハムが美味かったのでそのまま食べてしまった。 そうして食事をしているあいだ、周りを見渡すとやはりトップレス姉ちゃんがいた。ちょっと感激する。 先程通り過ぎたホテルのカフェ以外のお店は、まだシーズンに向けて準備中らしく、オープン・カフェの砂色の外壁を、白く塗り始めていた。知られざる一面が見れて、ちょっと得した気分。 食事も済んで、二人とも水着のまま、せっかく買った日焼け止めも塗らずに、仰向けで眠りこける。 ちょっと肌寒くなってきたので起きてみると、すでに15時。体の前側はかなり焼けてしまったようだが、裏も焼かねばと思い慌ててうつ伏せになる。 ふと横を見ると若者(男子)2人が寝そべっている。 ゲイ・カップルを眺めるのが好きなアチキは「アラ♪」と思いつつ、薄目を開けて2人の行動をしばらく観察する。ただの友人なのか、カップルなのか、いまいち確信できなかったが、そのうち一方が寝そべると、連れがじーっと彼の顔を覗き、見つめ続けていた。 「ウフフ♪」と思って見ていたが、肝心の彼の方は連れに構うでもなく、そのうち携帯がかかってきて二人とも行ってしまった。 結局何だったのか分からなかったが、きっと片思いかなんかだろう。 もしくはちょっと冷め気味のカップルとか。 そんな他愛もないことを考えているうちに、近くに子連れの若いママが二人やってきた。1人が敷いたタオルがピカチュウだったのでちょっと驚く。 子供はフル○ンで海にはしゃぎ、ママはトップレスになり浜辺で体を焼く。 これがイビサの夏の日常的な風景なんだろうか。 少々カルチャーショックを受けつつも、開放的で実によろしいとほほえましく眺めるに至る。 また一方では、若い女の子が二人やってきて、服を脱いで浜辺に寝そべっていたが、よく見ると水着ではなく、下着のような気がしてくる。目を凝らしてよ〜く見てみるが、やっぱり下着のようだ。これにはちょっとビックリしたが、「まぁ、それもありでしょう」と思う。 また別の女の人は、帰る時にその場で下の水着も脱いでスッポンポンになり、服に着替えていた。「それもありか〜」とちょっと羨ましく思いつつ、女でよかったと、ちょっと思う。男だったらこんなにじっくり観察はしていられまい。 16時ころになるとさすがに寒くなってきて、服を来て退散した。2人とも前だけしか焼けなかったのだが、もっと悪い事に、友人はセパレートの水着を着ていたのに、寝ている間にうっかり腹のうえに手を置いてしまって、しっかりそのあとが付いてしまっていた。 彼女は「コレもいい思い出だ」とたいして気にはしていないようだったが、そんな彼女の姿勢にちょっと感服した。 さて、帰りのバス探しが始まったが、これがなかなか見つからない。降りたバス停のある道は一通だったらしく、道もすぐ曲がってしまっていて、バスがどっちへ行ったかさえよく分からない。 来た道も、あっちに曲がったりこっちに曲がったりしたものだから、よく分からない上に、途中で寝てしまったので風景も分からない。とりあえず、海岸線沿いの大きな道を歩いて探すことにした。 15〜20分くらい歩いた頃に、やっとバス停が見えてきたが、これはどうやらタラマンカ行きのバス停のようだ。しかも1時間に1本しかないようだ。 う〜む、タクシーも走っていなし、困った。 道の左手には港があって、その海の向こうにはイビサの城跡が見えてはいるのだが…。 歩いて帰るしかないのか?? |
夜 |
18時ころ、歩きつかれたので道沿いのオープンカフェに入る。 そこでは8歳くらいの女の子たちが数人いて、何やら話し掛けられたがわからずよく見るとそのうちの一人がオメカシしていて、近くにプレゼントが置いてあったので、彼女の誕生会と踏んで、こちらも「あなたお誕生日なの?いくつになったの?」とか日本語で聞いてみたりする。 そのうちお母さん方もやってきて、お誕生日会が始まった。 さっきのプレゼントの中身はキックボードだったようで、皆で代わる代わる乗ってはしゃいでいる。今回スペインではキックボードに乗っている子供をよく見かけた。 そのうちラジカセから音楽が流れて、風船を持ったピエロが登場! これには子供たちばかりでなく、我々も驚く。 子供達はピエロとしばらく戯れていたが、そのうち近くの公園までピエロと一緒に行ってしまった。 そんなほのぼのワールドに浸っているうちに、席からバスが走り抜けていくのが見えたのだった…。 ところで、わざわざメニューを貰ったのに飲み物が載っていなかったので、カウンターまで行ってコーラを頼んだのだが、なぜか笑われた。 ちょっとムッとする。 お勘定の時もおじさんとおばさんの言った値段が違ったので、もしかしたらボラれたのかも。まぁ、たいした金額ではないからいいのだけれど。 カフェを出てさらに歩くと、ロータリーみたいなところに来た。四方から車がやってくるので、ココでタクシーを捕まえることに。 しかし、さっぱり捕まらない。たいていタクシーには人が乗っているのだ。 20分くらい待ってやっと捕まえたタクシーは、クラブ人間の運転手なのか大音量でクラブ音楽がかかっていてうるさかった。 とりあえず地図を広げてイビサタウンのバス停乗り場まで行ってもらうことに。 行きは30分ほどかかったのに、5分ほどでついてしまった。 違うところに連れてこられたんじゃないかと、何回も片言の英語で確認する。 しかし、どうやらここであっているようだ。 まず空港行きのバスの時間を確認。 20:57とある。 それまでフラフラすることにしたが、イビサは子供服屋が多いのに気付く。街にもベビーカーをひいた若いママや、小学生くらいの子供が多い。それに比べ、老人はほとんど見かけず。 あまり見る店もなかったのだが、靴屋、おもちゃ屋、雑貨屋、スーパーなどで時間をつぶす。 シーズン外ということもあるのだろうが、日本人はよほど珍しいらしく、歩いていると見つめられる事が多い。我々もイビサでは日本人はおろか、東洋人にもお目にかかることはなかった。 イビサのスーパーでは「コアラのマーチ」を発見。箱の形は日本と同じだったが、イラストがちょっと違っていた。高かったがお土産に購入してみる。 おもちゃ屋の前のテラスでは男性の首筋に「狂」の刺青を発見。その下はTシャツの襟で見えなかったが、続きは一体何と彫ってあるんだろーか? 日本の某野外フェスで、外国人が白いTシャツに黒いマジックで「害人」と書いて、着ていたのを思い出す。 20時頃から夕飯を摂る。 スタンドみたいなところだったが、パエリヤを頼んでみる。お腹が一杯だったので、二人で一皿頼むとやや怪訝な顔をされるが、話してみるといいおじさんだった。 パエリヤは、見た目はべちょべちょしていたが、美味かった。 味はやっぱり濃い。 来るのが遅かったのでちょっと焦ったが、店はバス停のまん前だった。 予定していたバスに乗り、空港にちょっと早めに着く。空港のトイレで水着を下着に着替え、ベンチでちょっとウトウトする。 チェック・インを開始と同時にして、搭乗口前で待っていたが、どうやら搭乗口が変更になったらしく、焦る。 予定の飛行機はまだ飛び立っていなかったが、逆に搭乗が遅れるらしく、おそらく同じ飛行機に乗るのであろう人々と、互いに顔を見合わせる。 24時10分、約1時間遅れで搭乗開始。 機内アナウンスで何か案内があったらしく、皆盛り上がっていた。もちろん我々はその内容まで聞き取れなっかったが、喜びようからいって、アイスか何か、お詫びにくれるのかと推測する。 24時20分発で、25時に、何事もなくバルセロナ到着。 何だかフライト時間が短かったような気がするが、お詫びに飛ばしたのか??遅い時間でタクシーがあるか心配だったが、余裕だった。 こうして、イビサの長い1日は幕を閉じたが、今回、かなりゆったり旅するのもいいもんだと思った。イビサに行ってもう三ヶ月近く経とうとしているのに、イビサで過した一刻一刻が、アリアリと思い出せるからだ。 いつも予定一杯一杯で旅している私には、嬉しい発見である。 戻る |